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●九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日生 )
京都府京都市生まれ。兄である人気漫画家・吉田竜夫の作画手伝いをしながら、60年代の少年漫画誌に数多くの作品を発表。代表作は、『マッハ三四郎』『海底人8823(ハヤブサ)』『アラーの使者』『大空のちかい』『海洋少年隊』『弾丸児』など。テレビドラマのコミカライズやラジオドラマになった作品も少なくない。後に兄2人に誘われる形で、アニメ制作会社・竜の子プロダクションの設立に参加。『科学忍者隊ガッチャマン』『昆虫物語みなしごハッチ』『新造人間キャシャーン』『タイムボカンシリーズ』など数々の名作アニメを生み出し、1987年にはタツノコプロの第三代社長に就任。2005年7月まで務めた。
キャラクターデザイナーでありプロデューサー。
●来歴
本名は吉田豊治(よしだ とよはる)。タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。
ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらにそこから「一平」をつけたことによる。挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。当初は挿絵画家志望だったが、竜夫の影響で漫画家を志し、竜夫のアシスタントとして活動した後、赤本の描き下ろし単行本『あばれ天狗』でデビュー。『マッハ三四郎』などの作品で人気を博す。タツノコプロ設立後は、多くのタツノコアニメでプロデューサー・企画・監督などの重責を約40年間にわたって担い続けた。幼少の頃に進駐軍を見て「日本人でいたくない」という願望を持つ。進駐軍払い下げのアメコミを読み『スーパーマン』に憧れる。(九里氏によると漫画デビュー作は「『スーパーマン』を子供にしたような漫画」である)。こうした原体験からその画風はアメコミ調である。さらに『マッハGoGoGo』などの手がけたアニメの世界観もアメリカ的であると言われてる。
●経歴
1940年、京都市に生まれる。
1958年、京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)を中退。挿絵画家を志し、次兄・吉田健二とともに上京。
1959年、赤本の描き下ろし漫画単行本『あばれ天狗』を経て、集英社の日の丸誌に『Zボーイ』を連載し、中央の出版社でデビュー。
1962年、吉田竜夫、吉田健二と3人でアニメーション制作会社「タツノコプロ」を設立。
1977年、タツノコプロの子会社・アニメフレンド(1990年解散)が設立され、同社の代表取締役に就任。
1987年、吉田健二の社長退任に伴い、タツノコプロの第3代社長に就任。
2005年 7月1日、大手玩具メーカータカラによるタツノコプロ子会社化を受けて社長を退任。この時、吉田健二会長も同時に退任、吉田三兄弟がタツノコの経営から離れた。10月、第10回アニメーション神戸賞(神戸市主催)特別賞受賞。
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